池間島まるごと暮らしのミュージアム

セピアライン

第二回 池間の自然を学ぼう

     日時:2012年8月29日(水) 9:00〜12:00
     場所:池間島離島振興総合センター

美しい海と池間湿原に代表される自然環境、海洋民族の歴史と生活文化など未活用の地域資源を掘り起こし、基幹産業である漁業と島内の耕作放棄地を、観光業との連携による体験ツーリズム事業の導入により活性化させることを目的とし、島内の高齢者から小中学校の生徒たちまで、各世代の住民が集い、話し合い、情報や想いを共有する学びの場を提供するものとする。



◆第二回目ワークショップの内容

第2回 参加者:池間小学校高学年と池間中学校生徒
      池間島の人々(60〜80歳代)
      琉球大学の学生(風樹館チーム)


スタートは、子ども対象の自然観察ワークショップとして、佐々木先生、風樹館チームと池間小・中学校生徒が、池間湿原(イーヌブー)で現地調査。佐々木先生の説明のもと、植物や鳥などを観測した。(A)
イーヌブーから会場に戻り、地域の人々と合流。佐々木先生のお話『池間島の自然と暮らしエコツーリズムに向けて』をうかがった。(B)
各年代が均等になるように別れた4つのグループごとにワークショップ。『池間島の自然遊び』をテーマに、高齢者たちから池間島の昔遊びを聞き、最後は子どもたちから、それぞれのグループで話された内容を発表してもらった。(C)
会場では、風樹館チームによるマーニーの葉のソリづくりの実演もおこなわれた。(D)



(A) 自然観察ワークショップ

自然観察 午前9時、集合場所の離島振興センターから、車に乗り、池間湿原の見晴台へ。
佐々木先生から、湿原に訪れる鳥の話しや植物のお話を聞きながら、「今、湿原はどういう状態なのか」を把握。はびこるヒメガマが湿原に与える悪影響についてなどについて考えた。


Aグループ Aグループ
Aグループ Aグループ
Aグループ Aグループ


(B) 佐々木健志先生のお話 〜池間島の自然と暮らしエコツーリズムに向けて〜

お話01 琉球大学資料館の佐々木と申します。これから沖縄の自然の成り立ちと池間島の自然についてお話をし、そして暮らしツーリズムについて、ヒントになるようなことにも触れていきたいと思います。

お話02 これは、私が専門にしている昆虫たちの写真です。しかも全部、日本で一番の昆虫。これらは、すべて沖縄県に住んでいます。われわれ生き物を研究しているものにとっては、沖縄はあこがれの的なんです。みなさんにも沖縄の素晴らしさを知ってもらいたいと思います。

では沖縄の自然ってどんなものなんだろう、ということからお話します。特徴は4つあります。ひとつは、小さな島が集まった地域であるということ。約160くらいの島があります。池間島も、その160の島のひとつです。ふたつめは、平均気温が24度の温暖な地域であること。亜熱帯気候と呼ばれます。みっつめは、珍しい生き物が住んでいること。ヤンバルクイナとかイリオモテヤマネコとかミヤコヒキガエルとか、地域の名前のついた生き物は、そこにしかいない生き物だということです。こういった生き物のことを、『固有種』といいます。沖縄には固有種がたくさんいるのです。よっつめは、昔から人が暮らしてきた場所であるということ。人々が生活している中に、珍しい生き物がたくさんいるというのは、本土から見ると非常に珍しいことで、環境を学んでいる人たちにとっては大きな研究テーマです。

お話03 では、なぜ沖縄には、こんなに珍しい生物がたくさんいるのかということを話したいと思います。沖縄の面積は日本全体の何パーセントくらいだと思いますか?実は、0.6パーセントしかないんです。その小さな面積にどれくらいの生き物がいるか紹介しましょう。

哺乳類の仲間でいうと、日本全体で哺乳類の仲間は200種類くらい。そのうち、沖縄県内には19種類くらい。だいだい10パーセントくらいですね。これはやっぱり少ないですね。沖縄という島の中に、大きな哺乳類がたくさんいると、やはり住みにくい。宮古島では、昔、鹿がいました。でも、今は宮古島でもともといた大きな哺乳類といえばオオコウモリくらいです。爬虫類はどうかというと、日本全体でおよそ97種類いるといわれてますが、そのうちの63種類は沖縄県に住んでいます。沖縄にはそこらじゅうに爬虫類がいるといってもいい。ここ池間島にも大きなトカゲがいますよね。両生類は、日本全体では64種類といわれるカエルの仲間のうち、3分の1にあたる20種類くらいが沖縄県にいます。では鳥はどうかといいますと、さきほど、湿原で鳥を見てきましたが、日本では542種類が確認されています。そのうち、440種類が沖縄県でも確認されています。つまり80パーセントが沖縄県で見られるんです。沖縄県はバードウォッチングする人にとってはあこがれの場所なんです。私の住んでいる沖縄本島のやんばるには、ヤンバルクイナやホントウアカヒゲという小さなかわいい鳥がいるのですが、これを見るためにわざわざ外国から人がやってきます。このように、日本のわずか0.6パーセントの広さのところに、生き物の3分の1から半分以上が生息しているというすごい場所なんですよ、沖縄は。

それが、なぜなのかということなのですが、海の地形図をみるとわかります。これを見ると、中国大陸の浅い海がずーっとつながって沖縄があると。昔、海の水が少なかったときには、この小さな島々は中国大陸とつながっていたといえます。そのときに、大きな中国大陸のいろいろな生き物が、沖縄に渡ってきた。そして進化をして今のようにいろんな生き物がいるようになったわけです。昆虫を見てみると、例えばホタル。日本には56種類のホタルがいるといわれていて、そのうち20種類が沖縄にいます。しかも、それは沖縄でしか見られない種です。宮古島にはミヤコマドボタルというホタルがいますが、これは宮古島でしか見られない。クワガタムシは20パーセントぐらい、セミの仲間は、半分は沖縄県にいます。トンボの仲間も半分が沖縄県です。チョウは温帯域、ちょっと寒いところにたくさん種類がいるので、沖縄にいるのは3分の1ほどです。

なぜ沖縄には沖縄でしか見られない珍しい生き物が多いのか。古い地図を見ると、1500万年前には、中国大陸と沖縄は全部つながっていたんです。500万年くらい前には一度分かれています。それがまたくっついて、また一部分かれて、さらに琉球列島の部分だけが残って、それがまたばらばらになって、今の島になった。このように大陸とくっついたり離れたりしたときに、大陸からいろんな生き物が渡ってきて、島ごとに独自の進化を遂げたということがいえます。

では、島に生き物がどのように渡ってきたかといえば、鳥は飛んできます。流木にくっついてくる植物や昆虫もいます。植物の中には、海を漂って流れ着いたものもあります。海流分布といわれます。泳ぎが苦手な大型の哺乳類とか、海水に弱いカエルとか、飛翔力が弱いセミやホタルなどは、こういう方法では渡ってこれません。

島に住みついた生き物はその後どうなっていくか。そうした生き物は島に閉じ込められて数万年から数百万年すると、島ごとに突然変異でカタチや文様などが変わっていきます。その結果、新種の沖縄でしか見つからない生き物たちが誕生します。さらには、周りの島では絶滅しても、特定の島だけに生き残っている生き物たちもいて、生きた化石と言われています。イリオモテヤマネコとかヤンバルクイナとかイリオモテボタルとかがそうです。
こういった『進化』がおきて沖縄だけに住む多様な生き物が生まれてきました。これを失くしてしまうということは、数万年から数百万年かけて進化してきた生物を失くしてしまうということです。だから、島にいる生き物たちは大事にしなければならないのです。

次にその例をお話ししましょう。ヒラタクワガタというクワガタがいます。宮古島にいるヒラタクワガタの素性は、まだわかっていません。もしかすると沖縄本島から連れてこられて、外来種としているのかもしれない。今、DNAを調べています。ほかの島にもヒラタクワガタはたくさんいます。本土ではヒラタクワガタという1種だけですが、対馬にはツシマヒラタクワガタ、八丈にはハチジョウヒラタクワガタがいます。琉球列島では、多々良島にはタタラヒラタクワガタ、奄美、徳之島、大東島、西表には、それぞれアマミヒラタクワガタ、トクノヒラタクワガタ、ダイトウヒラタクワガタ、サキシマヒラタクワガタと、島ごとに全部違うヒラタクワガタがいます。これは先ほど申し上げたように、島に閉じ込められて、少しずつ形が変わったからなんです。どんな風に違うのか気になりますよね。見てください。どこが違う?そう、ツノです。みんなちょっとずつ違ってますね。特にダイトウヒラタクワガタは全身がずんぐりむっくりしてます。大東島には大東犬という犬がいるのですが、この犬も足が短くて、ずんぐりむっくりした体型をしています。これは大東島で起こった進化の形といわれています。

その他にも、池間島にもいるオオコウモリ。琉球列島にはクビワオオコウモリという仲間がいて、宮古八重山にはヤエヤマオオコウモリが、大東にはダイトウオオコウモリがいます。全部親戚です。ただ、ちょっとずつ色が違います。特に大東のものは、白く、黄色い模様がある。こんなふうに、沖縄の生き物は島ごとに姿が変わっていて、そこでしか見られないものが多いんです。もうひとつ面白いのは、昔はいろんなところにいたのだけれど、環境が変わり、特定の島にしか生き残っていない生き物がいます。たとえば、ヤンバルテナガコガネ。日本一大きくてヤンバルにしかいない。このDNAを調べると、中国のヤンソンテナガコガネが親戚だということがわかりました。昔、中国から渡ってきて、ヤンバルだけに生き残ったコガネムシだということがいわれています。

久米島にはクメジマホタルというホタルがいます。沖縄のホタルで幼虫が水の中で生活するのはこれだけです。この親戚は本土にいるゲンジボタルです。ホタルの仲間はもともと熱帯地域にいました。それが温かい時期に北のほうに分布を広げていって、久米島にだけなぜかぽつっと残ったんです。それでクメジマボタルは本土のゲンジボタルとは違う種類に進化していったわけです。

宮古島にはミヤコヒキガエルというかわいいカエルがいます。池間島にもいます。ガソリンスタンドの横の湿地によくいます。このカエルの親戚は中国のアジアヒキガエルです。亜種関係で、ほんとに近い親戚です。ということは、やはりある時期、中国大陸から渡ってきて、なぜか宮古島だけに生き残ったということがいえると思います。このように沖縄の生き物は、中国に親戚を持つものが多いのです。昔、琉球王国は、中国ととても深い関係にあって、使節のやりとりがありました。それは実はもっと大昔から、生き物の間でも起こっていたということなんです。

宮古島にはミヤコサワガニというサワガニがいますが、これは沖縄の本島の近くにいるトカシキサワガニが親戚です。1997年にミヤコサワガニが発見されて、その標本はうちの博物館にあります。こういった新種が、わずか15年前くらいに発見されているんです。それまでは新種だとは思われていなかった。そういう例が沖縄にはたくさんあります。

島の自然を考えると、いろいろな特徴が見えてきます。まずひとつは、島というのはとても狭いですから、そこで生き物が利用できる資源が非常に限られている。エサであったり、巣をつくる場所であったり。そういう環境ではどうなるかというと、ひとつの生き物が数を増やせません。たくさんの種類が、ちょっとずついるということになります。もうひとつは、島には小さな自然環境がモザイク状に散らばっているということ。生物は自分に合った環境を選びますから、生息の場所が限られてくるということになります。池間湿原に住む生物は、湿原の狭い場所だけが生活する場のすべてということなんです。ですから、あそこがなくなってしまうと、生物はもう生きていけない。もうひとつは、外から入ってきた外来生物が定着しやすいというのも島のひとつの要素です。というのは、もともと渡ってきた生物がいろんなところを利用して生きてきた場所なので、いろんな生物にとって利用できる隙間が結構ある。たとえば、沖縄本島ではマングース。宮古島ではイタチ。外来生物が生き残って繁殖してしまうと、もともといた在来の生物たちに、とっても悪い影響が出てしまう。こうしてみてみると、沖縄の生き物たちは、実は絶滅しやすいということがいえるんです。

お話04 島は進化と絶滅の場所といわれています。島にいる生き物たちが絶滅しないように守ってあげるというのは、そこの住んでいる人たちにとって大きな責任にもなるんです。ここに沖縄県レッドデータブックがあります。ここには絶滅しそうな生き物たちが載っているのですが、沖縄にいる哺乳類24種類のうち、23種類の名前があります。沖縄県の哺乳類のほとんどが絶滅しそうだということなんです。鳥は17パーセントくらい、爬虫類は54パーセントが、両生類は50パーセントが絶滅の危機にあります。こういう場所を種多様性が高く保全の必要性も高いということで、最近の言葉ではバイオダイバーシティホットスポットとよくいわれます。ホットスポットという言葉は聞いたことがあると思いますが、絶滅の進む場所という意味で使われています。これは、絶滅してしまった昆虫です。この標本は私の博物館に残されています。最後の標本が1958年の標本です。この後には見つかっていませんからすでに絶滅しただろうと考えられています。そして、イシガキニイニイというセミが石垣にいるのですが、これは日本で一番住んでいる範囲が狭く、日本で一番数が少ないセミといわれています。このセミを守ろうと、環境省と調査をしているところです。これは石垣のヤシ林にしかいない。今年調査をして発見されたのが、わずか5個体くらいです。やがて絶滅する可能性の非常に高い昆虫のひとつです。

私は1980年に沖縄に来ましたが、それ以降に新種で見つかった生き物もたくさんあります。鳥や哺乳類で最近になって新種が見つかる場所なんて、日本には沖縄しかありません。沖縄の自然というのは、まだ知らないことがいっぱいあるということなんです。今でも新種がぞくぞく見つかります。森とか自然のしくみがまだよくわかっていません。沖縄の生き物がどんな生活をしているのかということもほとんど知られていません。また、人と自然がどんな方法で共存してきたかという研究もまだほとんどおこなわれていません。だから、もし将来みなさんが沖縄の自然や生き物を研究したいと思ったら、やることはたくさんあるんです。

お話05 池間島の話しをしましょう。まずどんな地質かというと、底を掘っていくと、灰色の粘土がでてきます。これは泥の石。池間島の底は泥岩の層なんです。それが隆起して、海が浅くなってできた。海が浅くなると、沖縄ではサンゴが生育します。そのサンゴが何万年もかけて石になったのが、琉球石灰岩です。この辺の石垣も琉球石灰岩を砕いて石垣にしてあります。この琉球石灰岩が風化していくと、畑の周りにあるような赤い土になります。島尻マージとよばれます。池間島の畑は全部島尻マージの赤土の畑です。この土の特徴は養分をあまり含んでいない。だから昔から池間島の人たちは土に堆肥を入れて、作物を作っていたはずです。一方で水はけが良くて耕しやすい土でもあるんです。本島はどうかというと、赤土の底の泥岩を混ぜて畑を作ってます。でも宮古島は泥岩が地上に出ているところがほとんどないんです。昔、沖縄では、この赤土、島尻層の粘土で頭を洗っていました。粒子が細かくてアルカリ性なので、これで頭を洗うとつるつるするんです。最近またこれが見直されて、本島ではこの土の上等な部分が化粧品として売り出されています。

こういう土の上に育つ植物はなにかというと、オオバギとかヤブギ、ガジュマルとかタブノキ、マーニーなど石灰岩のアルカリ性の土壌を好む植物たち。今はこういった植物は御嶽にいかなきゃ見られなくなってしまいました。

第2回 これは、2008年の環境省の調べで作られた地図なんですが、黄土色に塗られているのが畑もしくは畑に生えている雑草です。これで見ると、池間島はほとんど畑か雑草に覆われた島になってしまったということがわかります。茶色に見えているところがモクマオウ。このモクマオウももともと沖縄にあったものではなく、外国から持ってきた木です。自然の森を作っているは、隆起サンゴ植生という海岸沿いに生えている植物たちです。それがピンク色の部分です。海岸沿いが昔ながらの池間島の植物がまだ残っているという場所なんです。ガジュマルークロヨナ群集という自然植生がありますが、これは今では御嶽にしか残っていません。

お話06 次に池間湿原について見てみましょう。これは池間湿原の水深を表したデータです。これで見ると、一番深いところでせいぜい80センチくらい。池間湿原というのは浅い。水が少ない時にはひざっ小僧くらいしかない浅い池だとわかります。しかも南のほうは、植物に覆われて水面はありません。そしてヒメガマがたくさん繁殖しています。そのほかにもフトイというイグサのでかいやつが生えています。そういう池間湿原なのですが、渡り鳥の重要な中継地になっていて、100種以上の鳥が確認されているので、2003年に鳥獣保護区に指定されています。実はこの池間、近くにジュゴンが住んでいた場所でもあるんです。1965年に伊良部島の佐良浜でジュゴンが捕まっています。このジュゴンは琉大に送られて、解剖されて標本になりました。その標本が私のいる博物館に保存されています。そのあとは、宮古周辺でジュゴンは見つかっていません。昔は結構いたようで、戦後もジュゴンを捕まえて食糧にしたという話も報告されています。琉球王朝時代は、八重山からジュゴンの肉を琉球王国に送っていたという記録もあります。

お話07 そしてサシバ。池間島には今はほとんど渡ってきてないですね。それは木が少なくなったから。木が増えればサシバはまた戻ってきます。昔はサシバをとって食べる食文化がありましたよね。今、それをするとつかまりますが。ただ、これもひとつの文化だから、すべてダメというのはどうかと思うんですが。とはいえ、数が少なくなりましたから、とって食べることは無理なのが現実ですね。また池間島にはキシノウエノトカゲという天然記念物の日本最大のトカゲがいます。体長は40センチくらいあります。宮古ではこれも重要なタンパク源として食糧になっていたようです。鶏肉に似た味がして美味しいといわれてましたね。八重山にもいるんですが、八重山ではあまり食べた話は聞きません。そのほかにも、宮古本島と池間島には少し小さめのミヤコトカゲというとても珍しいトカゲがいます。特に池間島には結構残っている。これは、池間島にあまり天敵がいなかったからじゃないかと考えられます。そしてミヤコカナヘビ。池間島には少なくなってきましたが、まだ生息が確認されています。池間島には大きなヘビがいます。サキシマスジオというヘビで、日本で一番大きくなるヘビのひとつです。大きいものは2メートルくらいにもなります。これご覧になった方いますか?あ、見られてますか。ちょっと小型でサキシママダラというヘビも池間島にはいます。それから、池間や宮古にはサソリがいます。モクマオウなどの皮をはがすと、マダラサソリというのがいるんです。森の中にはヤエヤマサソリがいます。ふたつとも毒は強くないので大丈夫です。多良間にはタイワンサソリモドキというサソリに似た生き物がいます。

宮古島には4種類のセミがいます。池間島には3種類が残っていると思われます。中でもミヤコニイニイというセミは池間島にしかいません。池間湿原にはゲンゴロウがいます。絶滅に瀕したゲンゴロウもその中にはいます。そしてトンボがたくさんいます。宮古島では27種類のトンボが確認されていますが、池間島には17種類はいると思います。特に湿原のトンボで特徴的なのはオキナワチョウトンボです。チョウチョみたいにひらひら飛ぶトンボです。池間湿原でどんな時期にどんなトンボが見られて、どんな生活をしているか、調べてみると面白いです。

お話08 そしてこれが、池間島にもたくさんいるミヤコマドボタル。これがオス、こっちがメスです。ホタルには、こんなふうに、メスの羽が完全になくなっている種類が結構あります。なぜかというとメスは大きな卵をたくさん産むために、身体が大きくなってしまった。そのために飛ぶのが苦手になって、羽がだんだんなくなってしまったんです。ミヤコマドボタルの幼虫はカタツムリを餌にします。沖縄のホタルはたいてい陸地にいるので、餌はカタツムリかミミズです。特に池間島にはカタツムリが多いんです。カタツムリや貝は石灰岩をなめて、殻を作る材料にします。そのためにホタルもたくさんいるのです。前回のワークショップで、池間島にはホタルがたくさんいたという話が出たようですが、それは貝やカタツムリがいっぱいいたということでもあるのです。

次に、人と生き物とのつながりを考えたいと思います。宮古島では子どもたちが生き物とどんなふうに遊んでいたかを見ていきましょう。

お話 お話

まず、ホタル遊び。ホタルの方言ですが、こどもがホタルを呼ぶとき、那覇、首里、八重山では「ジーナー」、宮古島では「ヤーンブ」と聞きました。池間島ではどうですか?あ、あまり方言は伝わってませんか。それも面白いですね。方言があるということは、昔から人との付き合いが非常に深かったことを表しています。どんな遊びがあったかというと、宮古島のおばぁに教えてもらったのは、テリハボクの実で提灯を作ったと。宮古島で有名なホタル遊びのひとつです。

お話 お話

もうひとつ、ハマオモトという植物がありますね。これ、茎を切って皮をむいて風船をつくります。その中にホタルをたくさん入れると、こんな風に蛍光灯みたいに光ります。これも宮古島のおばぁたちから聞きました。

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それとかぼちゃの花の提灯って、宮古島にもありますか?かぼちゃの花は夜閉じます。その花の中にホタルを閉じ込めて暗がりに持っていくときれいに光ります。それとですね、これは沖縄本島の話しですが、昔、豚の餌にしたシルイモというイモがあるのですが、子どもたちは、このイモの中にホタルをいっぱい詰め込みます。ホタル団子です。これを暗い所へもっていくと光るんです。イモが結構透明なので、提灯になるんですね。男の子たちはもっとダイレクトに、このイモに直接ホタルを刺します。これはおじぃから聞いた話です。

お話 お話

この他にもカタツムリの殻の中にホタルを入れたり、いろいろなホタル遊びがあったようです。そしてこっちは、ホタルを追い払うおばぁ。なぜかというと、ホタルは死んだ人の魂だと考えられていたんです。全然知らない人の魂が家に入ってこないように追い払っているんですね。池間島はどうですか?あ、池間島もそうですか、やっぱり。宮古全域でそうなんですね。沖縄本島はあまりないんです。これはホタルが身近だった証拠なのかもしれませんね。

その他にですね。ホタルのお尻をつぶすと液がでる。これをいろんなところに塗って光らせて遊ぶということも聞きました。それから沖縄本島のハエバルのおじぃは、新しい下駄を買ってもらうと、ホタルの液を先っちょに塗って履いて歩いたなんて話もしてくれました。パパイヤの葉っぱにホタルを差し込んで、光るうちわを作ったとも聞きました。
池間小中学校のみなさんも、地域のおじぃ、おばぁからどんなホタル遊びをしたのか、身近になる植物や虫でどんな遊びをしたのか、ぜひ聞いてもらいたいと思います。

お話09 ちょっとだけ、植物の遊びの話しをします。これはクワズイモの葉っぱ。そこらじゅうにたくさん生えていますね。昔はこの葉っぱをくるくるっと丸めて、セミをとる道具にしていました。これをセミの上からかぶせると、セミがびっくりして、中に落っこちるんです。あ、池間島でもよくやりましたか?沖縄本島でも八重山でもやってました。これが一番よくセミがとれるんです。

お話10 これはトンボをとる道具。メンシバの2本だけ残して、その間に女の子から髪の毛を一本もらってくくりつけるんです。おじぃの話しでは、好きな女の子から髪の毛をもらったなんて聞いていますけどね。そしてトンボがいると、トンボの前羽と後ろ羽の間に髪の毛を入れてくいっとひねる。そうするとからまってトンボがとれる。これには技が必要なので、男の子たちは夢中になったといいます。

第2回 宮古全体の風習として、ハマオモトを魔除けに使うというのもあります。家の四隅にハマオモトを植えて、結界を作るんです。悪いものが入ってこないように。これは池間島にもありますか?ありますね。これはもう、宮古本島にはあまり残っていなくて、上野村の一角でやっとこれを見つけました。

第2回 今僕が研究しているのは、藁算という沖縄県独特の民具です。これは琉球王朝時代、数を記録したり、計算器として使ったものです。ワラやアダナスなどをなって、いろんな形を作って、数を記録しました。これは宮古の藁算で、家畜の数を表したものです。これは100年以上も前に島尻村で使われていたものです。馬が15頭、太いワラが10、細いワラを1と数えます。牛が10頭、山羊が53頭いたことがわかるんです。ふつう、ワラ算は、収穫量を計るのにつかわれるんですが、宮古の特徴は、主に、家畜算として使われたようです。池間島のもの、探してきました。これは東京国立博物館にある100年前の明治期に作られた池間島の藁算です。

お話11 こっちは米の量を表しています。2345俵1斗5升。昔、池間島ではこんなにたくさんの米がとれたということなんですね。昔は水田がもっとあったと考えられます。

この5年くらい、沖縄本島、八重山も含め、藁算の調査をしていますが、一番たくさん見つかっているのが宮古島なんです。そのひとつに東仲宗根にある御嶽の豊年祭で使われている藁算があります。これは部落の方が奉納したお金の数やその家の人数を表しています。昔はおそらく、お米や奉納物の数だったのではないかと思います。ススキの葉で作り、神様に奉納しているんです。すぐ近くの兄弟御嶽にも同様の風習があります。

お話 お話

また、うるかや友利で津波除けのお祭り、ナーバイがあります。ダンチク草の茎をところどころさしこみながら結界を作り、津波が来ないように願い、最後はクィーチャーというお祭りなのですが、ずっと長い間公開されず、住民も仕事を休んで家に籠り、行列を見てはならないという厳しい掟がありました。最近は取材もできるようになり、私は一昨年行ってきました。このお祭りでは、出欠票に藁算を使っているんです。

私たちは藁算の講習会を時々開いています。小学校などにも行くのですが、その時は必ず地元のお年寄りを呼んで、こどもたちに藁のない方を指導してもらいます。お年寄りは縄をなう技術を持っていますから。子どもたちはすぐに覚えます。それができるようになって、実際に藁算を作ってみるということをやっています。池間でもぜひやってほしい。地域の文化をテーマにした教育活動というのは、学校と地域が連携した地域文化の保存と継承につながります。ほんのちいさなことでいいです。昔、お年寄りが使っていた道具を復元して、子どもたちに使い方を教えるとか。それが、伝統行事をサポートすることにつながっていきます。さらには、お年寄りは地域の宝です。地域の人材を積極的に学校教育に取り入れるということでいえば、一番いいのはお年寄りの知恵と技術を教育に生かす。特に沖縄県には、元気で知恵をもったお年寄りたちがいっぱいいます。ぜひ池間島でも、元気なおじぃ、おばぁあたちは学校と連携して、知恵と技術を子どもたちに伝えてもらいたいなと思います。

次に沖縄の暮らしとエコツーリズムについてまとめてみましょう。まずすべきことは何かということ。

お話12 1は、一番大事なことで地域の何が使えるのかということです。池間の場合、一番の宝はお年寄りの知恵と技術です。自然の宝は、県で一番大きい池間湿原と海岸に残された原風景ですね。これをベースに地域の住民の共通理解をしていただきたい。学校との連携も不可欠です。子どもたちが次の池間島を背負うのですから。お年寄りの皆さんは、子どもたちに知恵と技術をもっともっと伝えてください。そして3番目。島全体でどうしたいのかを考えることが大事です。御嶽の植物をもっと森として島全体に広げれば、サシバも戻ってきます。積極的な自然保護のとりくみといえば、島に猫が増えると、島に昔からいるトカゲなどが減ってしまう。やんばるでは、飼ってる犬や猫にはチップを埋めて、ちゃんと責任を持ってかうべきという条例を設定しました。

最後に4つだけ提案をしたいと思います。ひとつは池間湿原利用した環境学習。利点としては湿原を管理しますから、湿原の保全につながります。修学旅行誘致の材料にもなりますし、案内ガイドなどの仕事の創出も期待できます。
また、宮古馬を活用した乗馬体験とホースセラピー。これも池間島でできるひとつのプロジェクトだと僕は思ってます。

お話 お話

宮古島には宮古にしかいない小さな馬がいます。数が減ってとても貴重な馬です。昔は池間島でも飼育していたといいますから、もう一度数を増やし、ホースセラピーをしたり、環境教育の題材にしたり、さらには島内の移動には宮古馬の馬車を利用するなど観光の目玉にするということも考えられると思います。また馬を飼うと馬糞が出ます。これは、有機物が少ない池間島の土壌改良にも大いに役立つはずです。与那国島には与那国馬という小型の在来馬がいるのですが、「与那国ふれあい牧場」というのを作り、与那国馬を使ったプロジェクトが20年くらい前からおこなわれていて、障がいを持った人たちも含めたセラピーを展開しています。また学校と連携して、馬の取り扱いを含めた乗馬教育を取り入れ、運動会の種目にまでなっています。

お話 お話

みっつめは、ミツバチはどうかと考えています。これは先日コンベンションセンターでおこなったミツバチの環境学習のひとこまです。子どもたちにミツバチの生活のようすを見せて、ミツのロウでロウソクを作りました。東京などにあるミツバチプロジェクトでは、ミツやミツロウを使ったオリジナル商品が、どんどん開発されています。これも池間島にふさわしいプロジェクトになるのではないかと思います。
最後、障がい者への対応の利点です。障がいを持つ人々が自然や文化を体験する場として池間島を使うのはどうでしょう。お年寄りに優しい場所は障がいを持つ人にも優しい場所なんです。池間島は、お年寄りに優しい島、すべての人に優しい島ということで、本当の意味での癒しの島になれないかと考えます。今私たちの博物館では、ビオトープを取り入れて、特別支援学級の子どもたちと一緒に田んぼの活動をしています。車いすでドブに浸かったこともない子どももいますが、すぐ横まで車いすを運び、そのままドブンと田んぼに入り、田植えの初体験などもしてもらっています。そのほかにも、自然の中で子どもたちに楽しんでもらうことで、みんな、本当にいい顔になります。その顔を見るだけで、うれしくなります。そういう優しい癒しの島にこの池間島がなったらいいなと僕は思うんです。

お話12 最後に池間島の自然を引く次ぐために、どうしたらいいのかということです。自然の資源を利用するときの、ひとつのものの考え方を紹介します。島の自然の量は限られています。ところが島にはちょっとずついろんな環境があります。量は少ないけれど、いろんな自然がちょっとずつあるということです。言い換えると、限定性と多様性といいます。それを持続的に使うにはどうすればいいか。非集約的な自然利用が不可欠。どういうことかというと、個々の資源の利用限界を明確にする。いいからといって、同じ資源をずっと使わない。ある程度使ったら休ませるということです。多様な自然を分散して利用する。同一資源に集中しないということです。このふたつを守っていけば、島の資源をずっと使い続けることができるんです。昔、沖縄では、それを部落の掟としていました。御嶽に入って、この植物をとってはいけないとか、ある時期、海からこれをとってはいけないとか、部落でいろんな決まりを作って、資源を守ってきました。それが豊年祭などのお祭りに残されています。沖縄の祭祀にみられるタブーというのは、自然利用に関係したタブーが多いんです。これを頭に置いて、小さな池間島の豊かな自然を、次の世代に残せるようにしてください。長くなりましたが、これで私の話しを終わりたいと思います。ありがとうございました。



(C) 池間島の昔遊びワークショップ

『池間島の自然遊び』をテーマに、A〜Dの4つのグループに分かれ、おばぁたちから、子どもの頃、どんな遊びをしていたかを聞いた。聞き取った昔遊びは、グループごとに子どもたちが代表して発表した。

◆Aグループの発表

発表A 発表A
Aグループ

◆Bグループの発表

発表B 発表B
Bグループ
発表B  

◆Cグループの発表

発表C 発表C
Cグループ
発表C 発表C

◆Dグループの発表

発表D 発表D
Dグループ
発表D 発表D


まとめ

みなさん、ありがとうございました。子どもたちの発表、みんな素晴らしいものでした。おばぁたちから話を聞くと、まだまだ知らないことがたくさん出来てます。もっともっと聞いていけば、昔池間島ではどんな暮らしをしていたのか、子どもたちはどんな遊びをしていたのか、どんどん明らかになってくると思います。大久野研究者が宮古のこととか池間のこととか調べていますが、遊びのことは意外に調べられていない。遊びは、その地域の人たちがちょっと考えたり思いついたりして始まるので、その人たちがいなくなってしまうと、まったく伝わらなくなってしまうんです。大人たちには、ぜひ、この池間島の素晴らしい自然と植物を使った遊びの体験を、子どもたちに伝えて欲しいなと思います。近いうちに、また僕はここへ来ます。そして今度はおひとりおひとりからいろんなことを教えていただきたいなと思っていますのでよろしくお願いします。今日はどうもありがとうございました。



お話12

(D)マーニーの葉っぱでソリづくり

大型のマーニーの葉を編んでソリを作ります。昔、草や葉っぱは、子どもたちの遊び道具でした。

マーニー マーニー
マーニー マーニー

ワークショップが終わっても、みんな葉っぱのおもちゃ作りに夢中。誰も帰ろうとはしません。

セピアライン

          第一回 イーヌブーと池間島の暮らし
          第二回 池間の自然を学ぼう
          第三回 いけまのイケ弁をつくろう
          第四回 じょーじょーはいんかい!畑へ行きましょう

セピアライン

事業名:食と地域の交流促進活性化対策・観光と連携した都市農村交流促進(グリーンツーリズム)事業
事業主体:池間島暮らしツーリズム協議会(池間自治会、すまだてぃ会、池間老人クラブ、NPO法人いけま福祉支援センター)

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